和爾下神社

和爾氏と柿本氏

櫟本町は、古代豪族・和爾氏の本拠地として知られています。柿本氏は、この和爾氏と同族と考えられています。和爾下神社の周辺は柿本氏に深いかかわりのある地域であり、その証拠に、かつて和爾下神社境内に、柿本氏の氏寺である柿本寺(しほんじ)があったと伝わっています。室町時代までに柿本寺は櫟本の別の場所に移転したとされており、明治に入って廃寺となりました。13世紀頃に描かれた「柿本宮曼荼羅」では、和爾下神社の境内の景観が描かれており、そのなかに柿本寺の跡としての礎石がみられます。

人麻呂の歌塚

柿本宮曼荼羅にはまた、「歌塚」と呼ばれる柿本人麻呂の墓も描かれています。歌塚は、石見国で亡くなった人麻呂の遺髪が葬られた場所だといわれています。現在も、境内には歌塚の墳丘が残っています。鴨長明は『無名抄』のなかで、人麻呂の墓を訪ねていったけれど、誰もそのありかを知っている人がいなかったと残念がっています。櫟本での人麻呂への崇敬意識が、12世紀頃には衰退していたことをあらわすエピソードです。

人麻呂の木像

2023年、櫟本で柿本人麻呂の木像(高さ約27cm、幅約30cm)が発見されました。この像の製作年代は不詳ですが、室町時代頃のものだと考えられます。 その生涯が謎につつまれている柿本人麻呂ですが、和爾下神社周辺の各所でその息吹を感じることができます。

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